高校生の時に大学の体験授業で学んだ「日本語学」の分野に興味を持ち、高校生で英語という言語を単語や文法から学んだように、大学では日本語を言語として、文法にどのような仕組みがあるのかを学びたいと思い、1年生から日本語教員養成課程を受講しました。
高校生の時はどんな勉強にもあまり関心を持てなかったのですが、高校で実施された大学の体験授業で日本語学の授業を受講した瞬間に、これを学べる大学を探そうと決心しました。大学は札幌市内で探していたので、日本語を言語として学ぶことができる日本語教員養成課程があり、かつ幅広く日本文学?日本語学の教員が揃う310直播に入学を決めました。
日本語教員養成課程では、日本語の文法を網羅的に学ぶことができます。日本語を一つの言語として見ると、様々な言い回しや無意識に発していた言葉などから、ただ生活している中では気づけなかった当たり前のことが日本独特の文化であると気づかされることがあり、日本の文化とは何か改めて考えるきっかけになりました。
また、授業でペアワークやグループワークを行う機会が多いことも特徴です。学科だと、ゼミ以外の授業では学生間でアクティブに意見交換する授業よりも講義形式の授業が多いのですが、日本語教員養成課程では実習に加え、日本語教育に関する発表や授業を通じて留学生と交流する機会があります。実習以外にも普段の授業からアクティブラーニングを行える機会が多く、貴重な経験ができると思います。
相手がまったく知らないことを一から教えて誤解なく理解してもらうことは、相手が日本人であっても外国人であっても難しいことです。ただ一方的に伝えるのではなく、自分の話した内容を相手が理解できているか、理解できなかったなら何が分からない原因だったのか、必ず相手の反応を見ながら進めなければ、伝わった?教えられたとは言えません。
私は国内実習の準備から本番にかけて、話し方や言葉の選び方の一つ一つに注意を向けました。授業を担当したのはたった数十分でしたが、教えることの難しさと相手が理解できた時の感動に、たくさん触れられたように思います。最初に「相手が日本人であっても」と書きましたが、教育実習で培われた「伝えるための言葉を熟考する力」は、普段のコミュニケーションや人間関係にも強く通ずることであると感じました。
コミュニケーションに対する考え方が一番成長したと思います。元々は、ただ日本語の文法を学びたい一心で知識を増やすことに楽しみを感じていましたが、日本語の言い回しから「なぜこの言い方をするのか」「そこには話し手のどのような感情が隠されているのか」ということを学んだ時に、自分のこれまでの人間関係が思い出されて、あの時のこの人が言いたかったことはこれだったのかもしれない、と自分自身の人間関係やコミュニケーションの取り方に関しても学べることが多かったと感じています。
また、授業を行ったことで多くのことに気づくことができました。先生は生徒に教えるだけでなく、授業の間にタイムマネジメントや個別の生徒対応、咄嗟のハプニングへの対応なども行っており、限られた時間内での優先順位のつけ方なども非常に勉強になりました。
対人コミュニケーションの際に、日本語教員養成課程での学びを存分に活かしていきたいです。誰にでも自分の伝えたいことを伝えられる?相手の伝えたいことを理解できるということは、非常に重要であると感じます。お互いに誤解なくコミュニケーションができたら、人間関係において悩んだり困ったり、ぶつかったりすることは少なくなるはずです。
しかし、世の中には自分とは異なる文化の中で生まれ、生活している人との出会いがたくさんあります。これは、単に相手が外国人であることを異文化と捉えているのではなく、身近な家族や友人が相手でも、家庭環境や育った地域の違いもあれば、個々人のこれまでの経験によって、価値観や考え方は違うということです。この観点から、コミュニケーションを常に考えていくには、日本語教員養成課程での学びが必ず役に立つと思います。
私は、高校までの勉強とは異なる「答えを自分でつくる」大学の勉強に魅せられています。私は高校生の時、現代文のワークの記述式問題をよく間違えていました。その度に「なぜ文学の感じ方を誰かに決められなければならないのか?」という疑問が浮かぶのと同時に、自分の考えが間違っていると否定されることが非常に苦しかったです。
しかし、大学は独自の見解や発想を積極的に認めてもらいやすい環境です。高校の勉強が学びの全てではありません。自分の肌に合う学びを、大学選びを通して見つけてください。
(学年、掲載内容等は2023年11月取材当時)